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「コードが書けない」開発者がローグライクの歴史を変えるゲームを作る丨ローグライクゲームの歴史(二)

「コードが書けない」開発者がローグライクの歴史を変えるゲームを作る丨ローグライクゲームの歴史(二)

564 View2022-04-06
ローグライクゲームの歴史の第1回目では、元祖ローグライクゲーム『Rogue』の誕生とローグライクゲームとは何かを定義する「ベルリン解釈」について振り返った。しかし、「ベルリン解釈」に厳格に基づく正統派のローグライクゲーム以外に、解釈の制限に縛られず、ローグライクゲームを独自に解釈し、新たなプレイ方法を作り出す開発者が現れた。
2008年、「ベルリン解釈」が誕生してから間もない頃、『Spelunky』というゲームがリリースされ、「ベルリン解釈」への挑戦が始まった。この物語の発端は、ある一人のプログラミングが苦手なインディゲームプロデューサーだった。
コードを書くのが苦手な開発者
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1982年、『Spelunky』のプロデューサーであるデレク・ユーは、ゲーム環境にめぐまれた家庭に生まれた。デレクの母親が妊娠後、徐々にお腹が大きくなり自由に行動しにくくなったため、デレクの父は妻のためにアタリ2600を買ってプレゼントした。胎教段階から、ゲームに接してきたデレクは、その後の人生でゲームと密接な関係を築くことになる。
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アタリ2600のテレビCM
デレクは幼い時からよく、おじの家に行きファミコンで遊んでいた。他の子と違っていたのは、彼はゲーム機で遊ぶだけでなく、ゲームの設計するのも好きだっだということだ。小さい頃から、デレクは紙とペンでゲームのアイデアを描いていた。少し大きくなると、Basic言語でテキストアドベンチャーゲームを作るようになるが、コードを書くことには全く興味を示さなかった。プログラミングの挑戦はほぼ三日坊主に終わっていた。ところがある日、雑誌に掲載されていた「Klik & Play」の広告が彼の目にとまった。
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Klik & Playとは、『ロブロックス』や『RPG Maker』のようなゲームを作成するツールで、プログラミングができなくても使うことができる。しかも、様々な遊び方のゲームのテンプレートも多数搭載されていたので、誰でも簡単に手を加えるだけで、自分のゲームを作ることができた。遊び方の設計は得意だが、プログラミングが苦手なデレクは、まるで宝を掘り当てたような気分で、そのツールに飛びついた。やっと自分のゲームが作れる時が来たのである。
デレクがKlik&Playで初めて作ったゲームは「スノーマン・ファイト」という横スクロール型格闘ゲームだったが、正式にリリースされることはなかった。初めてリリースしたゲームは『クレイジーシューティング』で、オーバービュータイプのシューティングゲームだった。ゲームを掲示板サイトにアップロードするなり、たくさんのプレイヤーからメールが送られてきた。作品への高評価や、“ほかにもゲーム作品はあるか”という問い合わせに、デレクは驚きを隠せなかった。
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『クレイジーシューティング』ゲーム画面
Klik&Play掲示板サイトでの日々は、デレクにとって2つの意義があった。一つは自分が作ったゲームが、他人に認められた喜びを体験したことだ。それが、その後の人生においてインディゲームクリエイターとしての道を歩み始めた大きなきっかけになった。そして、もう一つは、この掲示板サイトで意気投合した仲間のアンディと出会ったことだ。デレクと違い、アンディはコードを書くのを得意としていた。これがその後の伏線となる。
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意気投合する二人だったが、大学が遠く離れていたので、卒業後、交流することはほとんどなかった。大学卒業後、アンディはコードを書く仕事に疲れ、玩具デザイナーとして活躍するようになった。ちょうどその頃、デレクはフリーのイラストレーターとなり、時々ゲームの原画作成の仕事も受けていた。また、TIGというインディゲームの電子掲示板も運営していたが、ゲームを生活の糧にするつもりはなかった。ある日意外なことで人生が変わるまでは…。
暇つぶしのゲームからベストゲームまで
2005年頃、弁護士のジャック・トンプソン氏が、暴力的だと言う理由でコンピュータゲームを非難し、当時に起こった銃撃事件のような暴力犯罪の要因をコンピュータゲームに紐づけた。ジャック・トンプソン氏は、ある挑発的な案を提起した。それは、ゲーム開発者に「開発者を殺せ」というゲームを作らせることだった。彼の考えはつまりこうだ。ゲーム開発者は他人を殺害するゲームばかり作っているが、開発者自身をゲームの中に置き、人に殺される気分を味わうべきだというのだ。さらに、もしそんな作品を開発できるのなら、慈善団体へ寄付すると約束をしたのだ。
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当時、ちょうど暇を持て余していたデレクは、自身の掲示板で仲間を集め、その提案に応えるゲームを作った。そのことが思いのほか反響を呼んだ。中でも、アレック・ホロウカという開発者はこのプロジェクトの話を聞きつけ、力になりたいとの旨のメールをデレクに送ってきた。その後、アレックは一部のプログラミングとBGMの仕事に参加し、デレクをサポートしてゲームを完成させた。
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だが悪名高いジャック・トンプソン弁護士は約束を破り、結局慈善団体に寄付されることはなかった。しかしながら、デレクには意外な収穫があった。この一件で意気投合したデレクとアレックは、プロジェクト終了後、次回作について話を進めたのだ。
二人は協力しゲーム『アクアリア』を開発。別々の都市で住んでいた二人は、仕方なくリモートでコラボをする形を取った。この手書き風の2Dアドベンチャーゲームの開発は、丸2年間をかけてようやく完成する。これはデレクが初めて携わった商用ゲームである。
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デレクにとって想定外であったのは、彼らが作ったゲームが2007年のインディペンデントゲームフェスティバル(IGF)において、4部門にノミネートされたことだ。デレクは感動のあまり、家族全員を表彰式の会場に呼んだ。とはいえ、表彰式の間、デレクはハラハラしていた。前3部門でノミネートされた受賞者が次々と発表されるが、その中に『アクアリア』の名は無かった。デレクが家族を失望させたと落胆したその時、最後にインディゲームアワードが発表された。受賞作は『アクアリア』であった。
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この時、デレクと家族以外に、一人の旧友もこの授賞式に注目していたことを、デレクは知る由もなかった。その旧友とは、かつてKlik&Play掲示板で知り合ったアンディだった。すでにゲーム業界から離れていたアンディは、昔の友が受賞したことを受け、心に潜む情熱に火を付けたのである。
ローグライクの魂とは?
受賞後のデレクは、周囲の期待とは裏腹に、共に『アクアリア』を開発したアレックとのコラボを継続することはなかった。なぜなら、商用ゲームの開発は検討事項が多すぎる上、自分の思い通りにはならないからである。デレクは一人で静かな時間過ごし、自分のテンポと好みに合わせてゲーム制作をしたかったのだ。
コードが得意でないデレクは、Game Makerというゲームツールで新作に取り掛かる。Game Makerを学ぶ多くの初心者は、最も手軽に作れる横スクロールゲームから始めるが、デレクも例外に漏れることはなかった。しかし奇想天外な発想を持ったデレクは、普通の横スクロールゲームを作るつもりはなく、新作の中にローグライクの要素を詰め込もうと考えた。
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Game Makerスクリーンショット
彼が直面した最初の課題は、横スクロールゲームとローグライクの要素を如何にして融合するかという点であった。当時、プレイヤー達のローグライクに対する認識は、オーバービューであり、ターン制のダンジョンゲームがその代表格であった。リアルタイムで動く横スクロールゲームを連想させることは難しい。
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当時のローグライクゲーム
しかしデレクは、オーバービューもターン制もローグライクゲームの本質ではないと考えていた。彼にとっては、ローグライクゲームとはもっと抽象的な概念であった。彼の思う「ローグライク」は三大要素から構成される。
1.ランダムに生成されるステージ:この要素は、プレイヤーを惹きつけるキーポイントで、毎回のゲーム開始時に、異なる体験をもたらしてくれる。
2.復活ができない:ゲーム内でキャラクターが死ぬことによって、今までの進度が水の泡になるべきで、これがあるからこそ、プレイヤーはローグライクゲーム内で慎重に判断し、行動を考える。
3.ルールの統一:多くのプレイヤーは理解していないが、数あるローグライクゲームの名作では、ゲーム内の各所のルールが厳格に統一されている。プレイヤーがあるオブジェクトに対して起こすことができるアクションは、ゲーム内全てのものに対して同様のアクションを起こすことができる。例えば、ゲーム内でモンスターを蹴り飛ばすことができるのなら、回復アイテムも蹴り飛ばすことができる。モンスターを持ち上げられるのなら、回復アイテムを持ち上げて人にぶつけることもできる。このような設計によって、プレイヤーはゲーム内で奇想天外なプレイ方法を色々と試すことができるのだ。ゲームで「イタズラ」することもローグライクゲームの大きな楽しみの一つである。
デレクは、この三大要素が融合すれば、ゲームに「命」を吹き込むことができると考えていた。ランダムで生成するステージは、毎回新鮮なプレイ体験を提供できる。復活が出来ないことで、プレイヤーに緊張感を与え、真剣に次の行動を判断させる。ゲーム内の全ての要素の物理的ルールを統一すれば、プレイの奥深さと自由度は質的に一層向上する。100時間以上遊んでも、プレイヤーは新しい変わった遊び方を見つけることができる。
このようなルールに則り、デレクはGame Makerで『Spelunky』を開発した。
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神作が神に助けられた時
当初、デレクはゲームの初期バージョンを、自身が運営するTIG掲示板のシークレットモジュールで公開した。しかし、スレッドが公開されるなり、デレクのところに様々なアドバイスやアップデートの催促が届くようになる。ゲームの人気は彼の想像を上回るものであった。
そこで、デレクはすぐにゲームを正式にリリースしたところ、ゲームの人気は雪だるま式に膨れ上がった。当初『Spelunky』は、Game Makerで作られた無料の「ミニゲーム」であった。しかし、すぐにチャンスがこのダークホースに訪れた。インディゲーム業界なら知らない者はいない大物「ブロー兄貴」ことジョナサン・ブロー(ゲーム『Braid』のプロデューサー)がデレクに連絡をしてきたのだ。ゲームをXBOXでリリースする橋渡し役をしたいと。
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ブロー兄貴の発行本数
この当時、ゲーム機でリリースされるインディゲームのほとんどは『Braid』や『グーの惑星』のような大作であり、XBOXでのリリースはすなわち大金と名誉を手に入れることを意味していた。当然、デレクはこの「断る理由がないアドバイス」を喜んで引き受けたのだった。しかし問題は、当時彼が一人で開発をしていたことだった。正式契約を締結する前に、Microsoft社の担当者から受けた質問は「一人でどうやって移植を完成させるのか」であった。デレクは自信満々に「サポーターを見つけます。それが無理なら自分でコードを書きます」と約束する。しかしこれは契約を貰いたいがため、その場しのぎで言っただけで、実際のところ彼にはあてがなかった。コードを書くのも苦手だった。
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当時インディゲームがゲーム機でリリースされるのは珍しいことであった。だがほどなくして、天からの救いの手が彼に差し伸べられた。2010年のPAXゲームショーで、デレクはゲストとして招かれ壇上でスピーチを披露。その時、聴衆の中に見慣れた顔があった。それはデレクの親友のアンディだった。彼もちょうど自身が開発したインディゲームを携えて展示会に参加していたのだ。久しぶりの再会を果たした二人は、語りつくせないほどの話で盛り上がった。デレクは、思い出話だけでなく、ゲーム機で『Spelunky』をリリースする話と、コードを書くメンバーがおらず悩んでいることをアンディに打ち明けた。するとアンディは「『Spelunky』のコードを手伝おうか?」と答えたのだった。その瞬間、デレクは旧友にコードを書いてもらうことになぜ気が付かなかったのかと思った。
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友人のサポートを受け、『Spelunky』のHDリマスター版は成功裏にXBOXでリリースされ、その後PlayStationとSwitchにも移植され、売上総本数100万本を超えるヒット作となった。
今回は全編を通して、『Spelunky』について紹介した。なぜなら、本作は「ベルリン解釈」の拡大解釈で大成功を収めた最初の作品で、『Spelunky』はローグライクを多くのプレイヤーに広めた立役者と言えよう。
前回では、ローグライクをゲーム業界の『カノン』に比喩したことを覚えているだろうか。正に『Spelunky』の時代以降、ローグライクは正式に色々な遊び方とシームレスに融合し、『Binding of Isaac』『FTL:Faster Than Light』『クリプト・オブ・ネクロダンサー』『Slay the Spire』のような佳作がローグライクゲームというジャンルの新しい時代を切り開こうとしている。
これらの作品については、次回のローグライクゲームの歴史の中で紹介したいと思う。
参考資料:
A Brief History on Roguelikeswww.youtube.com/watch?v=I_0FH62KquQ&t=70s
The Evolution of Roguelike Designwww.youtube.com/watch?v=uM588ci-sMQ
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